私極度の左右音痴でして、右と左がわかりません。
咄嗟に右!とか言われてもペンの持ち方を想像して確認しなきゃわからんし、腕になんかつけても無駄でした。つけてる方の手が右だっけ…?ってなるので。
かと言って手に書くわけにもいかんし(笑)
車の免許取りに行ったときはほんと苦痛でした〜。
教官が信じてくれないんですよ左右音痴ってのを。
だから、右寄って右。右やん!右ってわかってる?ってか、聞いてる?みたいな、すごく馬鹿にされる言い方された事もあります。思わず「ウルセェ黙れ死ね!」と言いたくなりましたが(笑)そこは堪えて…ね!
追い込まれる言い方されたら余計テンパってわかんなくなるんですよね。
だから片手だけ手袋はめたり色々してました。
でも運転中手元ってあんまり見ないからかなり気を張って運転してましたね。常に「右手はこっち!右手はこっち!」と、左右を気にしてました。
いつも仕事前に行ってたので、終わってから仕事行く頃にはヘトヘトでした。
毎朝緊張で死にそうな顔しながら教習所のバス乗って、夜はちゃんと朝に備えて集中力持つよう早く寝たりしてました。安眠できるように苦手なホットミルク飲みまくったりしてましたが効果あったのかはよくわからん。気持ちの問題ですね。
それでも免許とったのは、ステータスが何もなかったからです。
履歴書の資格欄が、弟はたくさん書けるのに、私は1つもなかったんすよね。
貧乏だったんで、高卒で働いて弟の教習代建て替えたりして、自分のことは後回し。やっぱり弟は男なんで、大学出て車の免許持ってなきゃいけないだろってことで。いろんな事情があってローン組めないとかあったので、お金が必要だったんすよね。
そんなわけで高卒&ステータスなしってのを気にして(弟は男だったから親から援助してもらえたけど、私は親の援助なしだったので全額自腹。まぁローン組めたから。)、おそばせながら運転する気は無いけど車の免許を取ったのです!今思えば高3で免許取りに行けてた人らは贅沢だったなぁと。恨みつらみじゃ無いよ(笑)
当時はあんま免許取る意味わかってなかった(笑)
確かに車は一歩間違えれば走る凶器だからね、左右わからなきゃやばいのもわかるのですが、そんな言い方しなくていいじゃん。だったら解決策一緒に考えてよ。と思いましたね。これもやもや。
左右音痴もっと認識されて欲しいよ。
左右がわからないから鏡写しとか地形とか全然わかんないんだよね。
でも何十年解決策を探ってもダメなんだよ〜。左右はほんとわからない。
ちなみにこれとまさに同じです!
発達障害どうこうは知らんけど!や、小さい頃そんな関係で保健所頻繁に行ってたって親言ってたけど…よくわかりません!今普通だし!(主観)
↓↓↓
http://hattatu-jihei.net/left-and-right-confusion
エレベーターの記号とかもそうそう、迷うんだよね!あ、人が来る!開けなきゃ!→閉める、みたいなの多くてよく突っ込まれます(笑)
…まあ、それじゃあ車の免許取るなよって話ですが、当時転職とか考えてたのでヤケでした。ほんとは転職なんてしたくなかったけど…給料未払い続いたから…ぬぅん…。
大体左右わかんないんだから車の免許取っても運転しないっつーの。ただでさえ考え事多いし。(…)
そもそも車買っても維持するだけの金もない。
30万の身分証、そしてただのステータスです。
でもこれで転職先で運転強要されたら私どうするつもりだったんでしょうね(笑)
そのときはその時で考えるかくらいにしか思ってなかったな。
…でももし、もしも車買うことがあったら、ど田舎をミニカーで走りたいかな。ミニカーでいいです。おにぎりみたいでかわいいよねあれ。
そんなこんなで、2年半?かけてやっと教習所のローンを先月払い終えましたー!!!!!!!!!
嬉しい!さらば月々11700円!乗らないけどな!!!
もう気持ち的には弟のぶんと合わせて2人ぶんの教習代払った気分ですー!!いや払ったんだよな!建て替えだから微妙だけど!なんて解放感!!!!!
(ちなみに弟から返済された教習代は鬱時の生活費とVRに消えた(笑))
教習所でいつも吐きそうになってた私を勇気付けてくれたカイジありがとう!!!(授業待ってる間カイジ読んでた)
カイジの逆行に立ち向かう姿にはほんと勇気付けられたんすよ……。
焼肉奢ってあげたいくらい感謝してるよ!
教習代なくなってもカツカツの生活ですが、それなりに稼いでた時代は社畜扱いで鬱るしイジメとかも酷かったしブラック企業もあったし面接で初対面のおっさんに低学歴ボロクソ言われて病むとかでもはや何も信じられない状態の今ですが、お金がなくてもマイペースで仕事して最低限の生活ができる今が幸せでござる。「〜しなきゃ!」とかの張り詰めてたものがなくなって気持ちが楽。ほんと、未来のことなんてこれっぽっちも考えられないですが。今は。
あの頃は何ヶ月もずーっと、ほんとに涙が止まらなくて泣き続けたり、文字が読めなくなったりで大変でしたが、や、ここまで持ち直してよかったです。
親の期待を早く裏切るのが真の親孝行だとカレー沢先生も言っている。